意識朦朧とした母に1時間以上話しかける理由
何故、私は、意識朦朧として、返事もろくにできない母に面会で1時間も喋り続けるのか?これには、れっきとした理由がある。 私の子供が実は、病気で、意識不明の重体になったのであった。その時に、駆けつけたとき、お母さん(私)が来たよ、って声を掛けた時に、子供は、意識不明であったが、涙を流したのである。それも大量の。 本人は、覚えていない。しかし、命の瀬戸際で、声を掛けられると言うことは、とても心に響くようであることを肌身を持って知っている。 だからこそ、私は、1時間以上、時には、2時間近くも話しかける。 本人が覚えていなくても良い。その瞬間を大事にしたいので私は、果てしもなく、話し掛ける。 きっとこう言う人は少ない。 母の病室にいた無口な老人も、私の話を聞いていた。ある日、その老人のベットは、空っぽになった。 私は、多分葬儀は知らないうちに執り行われて、連絡も取れない兄弟に失望することを知っている。 だから、生きた母にたくさんの思い出と、たくさんの話をして、生きた母にできる精一杯のことをしている。 死んでから、親孝行なんて、あるわけない。生きているうちにたくさんの良い思い出をたくさん共有し、孤独に死んでいく事がないように私は、ひたすら、話しかけている。 こう言う姿は、何も知らない人は、おかしく感じるかもしれない。 でも、意識がなくても、話は、わかるのです。 コツコツと、片道高速道路で、1時間以上かかるの母の元に通い、私は、語り続けている。 日に日に、できないことが多くなっている。 それでも、私は、母に話し掛けることを辞めずに、母のベットが空っぽになるまで、通うつもりだ。